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心血注いで経営していた会社が破綻…。次の職場では日給1万2千円に命を賭けた

スパークグループに入社するまでの経緯を教えてください。

10年ほど営業販売の会社を経営していたのですが、ある事情で会社を畳まざるを得ないくらいお金が必要になりました。心血注いだ会社だっただけに、その時は心が折れましたね。しかし、自分の生活だけでなく両親への仕送りなどもあり、立ち止まることが出来ない現実がありました。

そこで比較的高給な建築業の職人になったのですが、そこは、まったく未来が見えない環境でした。命を賭けて1日1万2~3千円の給料です。上から鉄板機材が落ちてきて命を落とした同僚もいました。

自分自身も命綱が無ければ大変な事故につながっていたということが2度程ありました。それにスキルは関係なく、古くからの関係性だけで仕事をもらう慣れ合いの世界。結果や個人の能力を正当に評価される環境はそこにはありませんでした。

職人も辞めた時、36歳になっていました。この年齢になると、求人表に「未経験可」と記載されていてもなかなか採用されません。営業職に戻ろうかと考えたり、知り合いを頼ろうかと考えたり、決断できないでいました。

そんな時に出会ったのがこの会社でした。まず寮がある、日払いである、この2点が魅力的でした。正直に言うと、次の仕事までの繋ぎ程度でしか考えていませんでした(笑)。腰を据えて働くつもりは全くなかったのです。もちろん「人が嫌がる仕事」「ダークなイメージ」「大丈夫かな?」という言葉も頭に浮かびました。しかし、考えるよりも就職するしかなかったので、思い切って面接に行ったという訳です。

最初は適当な気持ちでバイト入社。4年後に上司10人以上を飛び越え役員に就任。80名以上の社員を束ねる立場へ

社長1

どうやって現在の役職まで登りつめられたのでしょうか?

最初はそういう適当な気持ちでしたが(笑)、まずアルバイトとして入社しました。当初からとにかく忙しかったですね。だから、スタッフと日々連携していく中で、「これは本気でやらないと仕事が進まないぞ」と考えるようになりました。

それに面倒見のよい先輩の存在があったり、後輩が下に付いたりし、その和気あいあいとした環境が楽しくなってきたのです。普通の会社なのだという事も分かりましたし。そこで「本気で働く」というスイッチが入り、入社2週間後に正社員になりました。

しかし8か月後、在籍店の店長と仕事の考え方が合わず、辞めようかと悩むようになっていました。そんな時、懇意にしていた隣店の店長が冗談交じりに声をかけてくださったのです。「ウチに来ないか?」と。この言葉には本当に救われましたね。渡りに船とばかりに、その隣の店に異動しました。その時声を掛けてくださった店長は退職されましたが、今もお付き合いは続いています。

それからは、夜番で一番忙しい時間に出社し、早朝の一番暇な時間までという勤務に付くことになりました。深夜から早朝は一番暇な時間帯です。電話が鳴ったら、なんとか女の子にお客様を付けてあげたいから、オーダーを確保するのに必死。「峯不二子いますよ」などと言いながら、大阪人特有の笑いでお客様を捕まえようと奮闘していましたね(笑)。

しかし、当時は残念ながら運営サイドに営業努力が欠けていました。グループ全体のWEB体制も遅れており、バナーの作成、ホームページの作り込みにも予算は出ません。「ならば、自分でやろう」と、勉強しフォトショップを覚えました。すると、作成したバナーが仕事として会社に認めてもらえたのです。努力したことが報われた瞬間でした。それからはバナーなどを作成するだけでなく、イベント等も提案するようになっていきました。

ちょうどその時、これまで各店舗で個別に求人募集を行っていた事を、本部で求人部署をつくり一括管理することに。そこで私に白羽の矢が立ったのです。入社1年1ヵ月後、本部の求人部署への異動と同時に役職が上がりました。最初は私1人で、何もない所からのスタートです。以前は各店個別に求人広告を出稿しており、隅々まで把握できなかった為、各広告代理店さんに連絡を取り一覧表を作成したりしました。

それを手始めに、万が一自分がいなくなっても、誰でも仕事ができるようシステムを構築。と同時に効果的な求人広告を発信するため、女の子の心理も追求していきました。それから約1年後、ようやく4人体制になり、私は部の管理職となりました。その頃には現在と同レベルの数字は達成していました。

さらに、部長などの上役からホームページ作成やイベント立案の相談が来るようになり、アイデアの逆提案もするようになっていきました。入社3年経過した頃、グループの数字が壊滅的に落ち込んだ時期がありました。その時、当時の社長からシステム関係の相談を持ちかけられるようになり、その課題もクリアしていきました。

それから暫く経った頃、当時の社長からあるオファーをいただきました。役員の役職です。これまでの私の実績と経歴を鑑みられたのでしょう。しかし、この提案を受けたら、会社が抱える難題を全部解決しなければならないのは明白でした。売上を上げなければならない、スタッフを教育しなければならない、WEB体制をしっかり確立しなければならない。もちろん今手掛けている求人部署も継続して結果を出さなければならない。数日時間をいただき真剣に考えました。そして、「チャレンジさせてください」と返答しました。

それから半年後の入社4年目、10人以上の先輩を飛び越え正式にこの立場に就かせていただきました。現在では規模を拡大し、80名以上の社員スタッフ達がスパークグループで頑張ってくれています。

何ができるか?何ができないか?その前に「やろう」という気持ちが欲しい

社長2

今の立場になられたその原動力は何でしょうか?

「自分の所属する会社が良くなって欲しい」。その一点だけです。

私の入社当時、「見て覚えろ」という非合理的な古い体質がまだ会社を支配していました。見るだけでは理解できないから聞いていてるのに(笑)。そういう慣習は時代錯誤であるし、「イチから丁寧に教える」というレベルまで行かなくても、基本的なことをしっかり教育することは店舗にとって重要です。やるべきことをしないからお客様に来ていただけない。対応すべきことをしないから女の子も辞めてしまう。まさに悪循環です。そういう根本的な部分から変革していくことには注力しました。

求める人材は?

ただ1つ。「やる気」を持っている方ですね。何ができるか、何ができないかと言う前に「やろう」という気持ちを我々は求めます。

もちろん、働く本人にも選ぶ権利があります。ですから面接の時には「私たちも仕事ぶりを見させていただきます。あなたも会社を見てください」とお伝えします。「2週間、弊社を見ていただいて、頑張れると思っていただけるなら、また話合いましょう」と。その後の面談で「あなたはこちらの部署の方が合っているかもしれません」という提案もします。

どこに適性があるかは本人にも分かりません。私もそうでしたから。お金が目的と言っていても、実はやりがいを求めていた方もいるし、その逆もあります。最初から適材適所は難しいですが、実際に仕事をしていただくとその人に合った仕事というものが見えてきます。

私はほとんどの社員に対面で給料を渡しています。「ひょっとしたら会社にとって有益な人材がいるかも」という思いもありますが、先輩に虐げられている、逆に気に入られているから過剰に評価されているという人を正当に評価したいからです。一人一人と会話をし、現場の声を聞きたい。だから私は給料日には一日中、各店舗を巡回しています(笑)。

拡大路線・多角経営でさらなる成長を!目指すは時代変化に対応したエンターテイメント

社長3

今後の展望を教えてください。

ゆりかごから墓場までではないですが、貢献してくれた女の子、社員スタッフの風俗業引退後の受け皿になる事業を作りたいと考えています。また「風俗に職を求めたけど、適性がない」という方に「では、こんな仕事はいかがですか?」と紹介できるよう採用間口を広くしたいという思いもあります。

そのためには拡大路線、多角経営しかないですね。実際、それは現在進行中です。母体である風俗業に関しては、常に見つめ直し、時代の変化に対応したエンターテイメントを作り上げて行きたいと考えています。

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